【休眠預金】数十年後も元気な有人島へ、未来への希望を灯すESPOの挑戦
未来基金ながさきは、休眠預金等活用事業(2022年度通常枠)の助成先として一般社団法人高島活性化コンベンション協会ESPO(佐世保市高島町)と認定特定非営利活動法人長崎OMURA室内合奏団対馬ほほえみ会(対馬市)、うんぜん部活動移動支援実証実験運営協議会(雲仙市)の3団体を採択した。3団体は今後、休眠預金を活用して「地域共生社会で子ども達の故郷を無くさない」をテーマに「文化」と「交通」の2分野における課題解決に取り組む。その中でどんな困難に直面し、乗り越え、どんな成果を生んだのか―。それぞれの取り組みをシリーズで届ける。
数十年後も元気な有人島へ ~未来への希望を灯すESPOの挑戦~
九十九島の一つ、高島。2024年9月時点で人口約150人、約50世帯が暮らすという有人離島は、本土との交通、通信環境を含めたインフラ格差をはじめ、それに伴う教育機会の損失や島外との交流の少なさなどの問題を抱えている。こうした問題を解決しようと「数十年後も明るい未来を共有でき、元気な有人島として存続させる」というコンセプトのもと設立されたのが、高島活性化コンベンション協会ESPO(エスポ)だ。ESPOはどういう経緯で設立され、休眠預金を使ってどういう事業に取り組むのか。専務理事の重村友介さんら3人に話を聞いた。
インタビューに応じてくれた(左から)長尾勝吉さん、重村さん、武邉義樹さん
「誰が最後の島民になるのか」冗談と本気が混じる島民の言葉が設立のきっかけに
重村さんの父は高島出身。岐阜県で測量会社「ACS」を営みながらも「自分の育った高島の漁師の力になりたい。高島の魚を発信したい」と夢を語っていた。その夢は約17年前、高島に水産加工場をオープンさせたことで形になった。
重村さんが高島に関わるようになったのは、この頃。工場を開いて間もなく父が他界するなど苦しい時期はあったが、苦難を乗り越えて島民との信頼関係を築いた。そしてオープンから約7年後、島民との何気ない会話の中で、あるフレーズを耳にするようになった。
「誰が最後の島民になるのだろうか」
重村さんは思った。「子どもも大人も、前を向いて明るい話ができないような島ではいけない。何とかしなきゃいけない」。これが設立の最初のきっかけになった。
一方、ESPOの理事で漁師の武邉義樹さんは「誰が最後の島民になるのだろうか」という島民の発言について、「半分冗談、半分本気だった」と振り返る。
「私は高校卒業後、すぐに漁師になりました。今の40代の島民にとって、長男が高島で漁師をすることは当たり前。しかし時代は変わり、長男でも島外で暮らすことが当たり前になった。悪いことではありません。一人ひとりにそれぞれの人生があります。私には高校3年生の息子がいますが、残れと言ったことはない。ただ、移住する人もいない状況をずっと見ていると『30年もたてば、なくなるのかな』と半分本気だった」
人口は減っていく。島の基幹産業である漁業の担い手も。インターネット環境は劣悪。通信回線だけでなく、下水道も通っていない。島と本土とをつなぐ定期船の時間の都合で、子どもたちは好きな文化や芸術、スポーツに親しめない。島外との交流も希薄化している。こうした状況から、島民の人々は希望を持てないでいた。
武邉さんも、ESPO副理事長で漁師の長尾勝吉さんも「島民はみんな『なんとかしなければ』という気持ちはあったが、どうすればいいのか分からなかった」と、悩んでいた過去を打ち明ける。
取るべき具体的なアクションが分からないまま、時間は刻々と過ぎていく。焦燥感は増していった。
[悩んでいた過去を打ち明けた武邉さん]
ビーチでの決起集会で回り始めた歯車
2023年春、希望という意味込めたESPO設立
島民が心の底で焦りを感じている中、重村さんはアクションを起こせばいいのか模索していた。その一環で様々な機会をとらえ、島民と将来について話していた。
高島に自分のルーツがあるとはいえ、本格的に関わり始めたのは成人してから。水産加工場をオープンさせた当初は、冷たい扱いを受けたこともある。しかし、ゆっくりと馴染んでいったことで「島が、島の人たちが好きになった」。この愛が、原動力だった。
転機が訪れたのは、2022年の夏。
重村さん、武邉さん、長尾さんとその家族ら総勢約40人で行ったバーベキューでのことだった。
高島の未来のために、重村さんはこう呼びかけた。
「力を貸してもらえないですか」
反対する島民は、その場に一人もいなかった。美しいビーチに集った人々は、ここから島の未来を見据えた新たな一歩を踏み出した。
以降は行政関係者ら島外の人材と会議を含めた交流を重ねた。そして、23年春、行政関係者や島外の支援者を巻き込んで高島活性化コンベンション協会ESPOを設立した。
ESPOはフランス語の造語。「希望」という意味を込めた。
決起集会とも言えるビーチでのバーベキューを長尾さんは「本当は自分たちが、島の人間が率先してやらなければならないのに。でも、言ってくれてうれしかった」と振り返る。武邉さんは「頑張った結果ダメであっても、何もせずに終わりを迎えるよりはいい。そう思わせてくれた」と感謝している。
[ESPO設立を振り返る長尾さん]
休眠預金で交通難民対策やインフラ整備など6事業を実施
同じような悩みを抱える地域のモデルに
ESPOが休眠預金を活用して取り組む予定の事業は6つ。①子ども交通難民対策事業②情報インフラハンディキャップ改善事業③集い場づくり事業④学び場づくり事業⑤アーティストと子どもでつくる高島アートと音楽事業⑥地域間の相互交流による共生事業だ。
子ども交通難民対策事業では、定期船の運行本数が限定されていることによって習い事を諦めてしまう子どものために漁船を代替手段として活用し、子どもたちが部活動や習い事に参加できる機会を提供する。加えて、持続可能な運行体制を構築する。
情報インフラハンディキャップ改善事業はその名の通り、インターネット環境もなく、電波も入りにくい状況を打開するための事業。KDDIと協議し、衛生インターネットサービス「スターリンク」を設置する。オンラインでの交流や習い事が可能になるほか、観光客の満足度向上なども期待される。
集い場づくり事業では、空き家をリノベーションして島内外の子どもたちはもちろん、大人も集い学べる場所、幅広い年代の人々が交流できる空間を創出する。
学び場づくり事業は、島内外の子どもらに漁業体験を提供することで、郷土愛を育むとともに、地域の文化や産業への理解を深めることを目的としている。大学との連携による漁業調査、研究も行い、持続可能な産業の構築も目指す。
アーティストと子どもでつくる高島アートと音楽事業では、デザイナーらと共同で島内外の子どもたちが壁画のほか、交通安全を呼びかける標語やベンチなどを制作する。また、小学生で構成されるバンドやアーティストによるイベントを実施し、子どもから大人までが音楽に親しむ機会をつくる。
地域間の相互交流による共生事業は、島内外の人々が共に生きる関係を構築するために離島体験や離島留学などを行う事業。集い場づくり事業と学び場づくり事業、アートと音楽事業を充実させる目的も兼ねる。
重村さんは「ここまでやって、あがいて駄目だったら、おそらく他の小規模離島やへき地、過疎地も駄目だと思う。だから、我々の活動は良い意味でも悪い意味でもモデルになる。どうなるか分からないが、やり切りたい」。責任と覚悟を持ち、事業に挑む。
[ESPO設立の発起人である重村さん]
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